■Vol.197 (2022年10月配信)
江戸時代に大人気だった
“湯女”って知ってる?
すっかり季節が移ろい、秋めいてきましたね。肌寒い時季を迎えると恋しくなってくるのがお風呂。とくに温泉や銭湯などの温浴施設で疲れを癒やす瞬間は、何事にも代えがたい至福のひとときといえます。
銭湯や温泉といえば、その昔…日本には「湯女(ゆな)」という職業があったのを、みなさんはご存じでしょうか。
温泉の世話係が次第にエスカレート
“湯女”の起源は鎌倉時代とされ、もともとは温泉地で入浴客の世話をする係だったそうです。その後、京都や江戸で銭湯が栄えると、多くの湯女を抱えた店が乱立し、次第にサービス内容も変化。
はじめの頃は客の髪をすいたり、背中を流すなどをしていただけですが、やがて日が暮れると酒の相手や余興を披露するようにもなりました。
さらに、競合する銭湯や遊廓との間で客の奪い合いが激化し、サービスはますますエスカレート。ついに風呂屋の2階や専用の別室を使って売春行為もするようになっていったのです。
遊郭を脅かすほどの人気で大盛況
こうした湯女風呂は江戸中期頃まで大いに発展し、中には“丹前風呂(たんぜんぶろ)”と呼ばれる超有名店まで誕生。そこから数々の文化や流行が生まれるなど、あまりの人気に一時は遊廓の存在を脅かすほどでした。
というのも、以前このコラムでも“遊郭の作法”をご紹介しましたが、とにかく吉原はハードルが高くて、時間とお金が掛かるんですよね…。
その点、湯女風呂は庶民でも気軽に遊べますし、けっこうキレイな女性も多かったようなので、多くの男性客がこっちに流れるのは自明の理だったかと思います。
粛清を受けても需要がある限り存続
ところが…遊郭と違って非公認の私娼であった湯女は、ついに幕府によって取り締まりを受けることとなります。
最初は銭湯1軒に在籍できる湯女の数が制限されるくらいでしたが、あまり守られなかったため、やがて湯女や風呂屋女の禁止令が出されました。
しかし、それでも表向きは健全な銭湯、裏では湯女による性的サービス…というアングラな店が増えただけで、売春行為は継続。
男たちの圧倒的なニーズに支えられるカタチで、1957年に売春禁止法が施行されるまで、湯女たちは逞しく生き残っていたようです。
ピンクコンパニオンで湯女を疑似体験
現在、湯女という職業は完全になくなってしまいましたが、いくつかの温泉宿には今でも何らかの“裏オプション”が存在するとのウワサ。
また、温泉地によってはピンクコンパニオンを呼べる宴会プランも堂々と提示されているので、そんなサービスを利用しつつ、湯女と遊ぶ疑似体験を楽しんでみるのも一興かもしれませんね。
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